ドバイ万博「日本館」の設計を手掛ける。
当社のIBARAKIスペースポートのデザインを担当。
日本大学卒業後、株木建設㈱に入社。主に官庁の営業に従事。人と人の繋がりの大切さや営業のノウハウを学ぶ。2000年増子建設(株)に入社。東日本大震災で、苦境の中での団結を見て地元建設業の大切さを肌で感じる。関東7県の若手建設業経営者の会長として活躍、一方で自分の人生を賭けるような仕事がしたいと常に考えるようになり、宇宙プロジェクト事業を構想。自身の今までの経験や人脈を活かし、地元茨城県に宇宙港を作り、特に子ども達に青い地球を見せてあげたいという夢と未来に向けてスペース・バルーン㈱を立ち上げる。
増子建設株式会社取締役として総合建設業に従事。東日本大震災を転機に、2012年に株式会社エコラル・パートナーズを立ち上げ代表取締役に就任し、解体工事をメインとした公共事業、茨城県でのメガソーラーによる太陽光発電事業をいち早く事業化する。 輸入販売事業も手掛ける中で、世界規模の事業を成し遂げたいとの想いを抱き、自らの持つ多角的なビジネス・センスと事業立ち上げのノウハウを活かし、兄 秀典とともにスペース・バルーン㈱を設立、世界を舞台にした宇宙事業の実現を目指す。
Australian Catholic University商学部国際ビジネス専攻卒。シンガポールで生まれ、アメリカ、ベルギー、オーストラリアなどの国で合計18年間過ごす。Wolfgang’s Steakhouse Singaporeに取締役として就任し、同社シンガポール店の新規店舗出店を手掛けた後、帰国。日本国内で合同会社3MAを、タイ王国でTSE Industries社を設立し、外国人音楽アーティストのアジア公演や楽曲企画などのエンターテインメント事業及び大手クライアントに対する工業用鋼鉄製品の輸入卸販売事業を行う。SNSがきっかけで増子兄弟と出会い、宇宙事業の可能性と魅力に共感、増子兄弟と共にスペース・バルーン社の創設に関わり、取締役就任。
立教大学理学部卒。NEC、コンパックコンピューター(現:日本HP)で新規事業立ち上げのリーダーシップをとり、その後ソフトバンク社に入社。数々の新規IT事業をマネジメントとして手掛けた後、MBOにて独立。自らITサービス事業を行う一方で、新規事業開発、事業再生、人材開発コンサル、セキュリティ・リスクマネジメントコンサル等を事業として行う。現在はネオジャパン(東証一部上場)の経営統括室長の他、医療クラウドサービスや旅行業出版事業、エンターテインメント事業を手掛ける会社の支援を行う。2016年ふうせん宇宙撮影の㈱岩谷技研設立時より、執行役員として同社の事業開発を手掛け、2020年退任。増子兄弟と共にスペース・バルーン社の創設に関わり、取締役就任。